明日への提言

未来へのメッセージ

-関心高めたいIT時代のアーカイブ-

国際資料研究所 代表 小川 千代子

IT時代、情報は即時配信

 IT時代、といわれている。その理由は、コンピュータネットワークの普及にある。コンピュータネットワークは既に世界中を覆いつくしている。とりわけ先進国での普及は著しい。だから、情報伝達と情報配信は世界規模でほぼ即時同時的に行われていると考えて良いだろう。20世紀中期、ラジオ放送の中で、外国の特派員が国際電話で現地情報を音声で伝えてきていたころには、電波の速度のために会話のやり取りに少し時間差が生じるものだった。その時間差に、特派員の居る現地との地理的距離を感じ取ったものだ。だが、今日は、もう世界のどこに電話をかけても、そんな距離感を感じる機会は殆どない。これは技術進歩の恩恵であろう。技術はそんなに進歩しているのである。時間と地理的な距離を短縮することについて言えば、20世紀後半の科学技術は大変な伸びを示したことになる。

時間経過という事象

ところが、である。地理的距離によって生じる時間距離が技術進歩により余りにも短縮されてしまったために、時間経過という事象について私たちはあまり考えなくなってしまったのではないだろうか。距離と時間は、その技術や媒体によって若干の変動が有るにしても、このIT時代到来までは何らかの関連性があるという「実感」があった。だが、電話の技術、コンピュータネットワークによる通信技術が飛躍的に進歩を研げた1990年代、地理的な距離は、通信において殆ど実感できないほど短縮されてしまった。これはすごいことなのだけれども、地理的な距離を時間で実感するのは実際に乗り物を使って自分自身が移動するときぐらいに限られてきてしまっている。IT時代とは、そんな特性をもっているようだ。

IT時代の記録=電子記録

 IT時代を象徴するコンピュータネットワークは、通信によって情報のやり取りが容易かつ迅速化させるものである。では、その情報は、どのようにして通信網に乗り、どのようにして届けられるのだろうか。言うまでもないことだが、情報は文字や画像のかたちで、コンピュータ記憶に作り込まれる。その作り込み先は、コンピュータハードディスクとか、フロッピーディスクとか、サーバとか、カタカナばかりが並ぶが要するに「電子計算機」の中か取り外し可能な、記憶用の電磁媒体である。情報は、コンピュータのハードとソフトの組合せ=機械そのものの動きと、その中で記録を作成するのに必要な仕組み、要するに、私の想像するに紙と鉛筆の組合せのようなものかと思うのだが、その電磁媒体に、二進法で構成された信号として記憶されていく。これが、IT時代における記録の一番もとのかたちである。この記録を更に「プリンター」を通して紙に打出すと、そこでようやく、紙の文書や画像が出来てくる。私たちは、たいていこの紙に打出されたものを「文書」とか「記録」などと呼ぶが、紙に打出される情報の「もと」となるのは、今日ではたいていは「電子記録」などと呼ばれる電磁的な媒体を用いた記録であることを忘れ勝ちである。

電子記録の保存性

しかも、電子記録の場合、その媒体がどれくらい安定性があるかについて、あまり関心が払われていない。それは、これまでもそうだったが、情報技術の進歩が非常に早いために、一つの情報媒体の商品価値が維持される期間が短縮されていることが挙げられるだろう。コンピュータのモデルチェンジは3ヶ月に一度くらいの頻度だし、デジカメやオーディオ関連機器、ビデオなど、ここ10年間でどれほどのモデルチェンジが行われたか、記憶だけではとても追いきれない。結局はそのために、今では再生機器が無いばかりに見たり聞いたりすることが出来ないものが続出している。

米国では、宇宙探査の成果を記録した磁気テープをはじめ、人口調査、貿易、健康調査などのデータが、再生できないがために「失われ」てしまったことが、ビデオ「未来へ」に取り上げられている。日本では、いくつかの役所で80年代に導入した光ディスクが、事実上使えなくなっている事例を耳にした。90年代初頭に聞かされたのは、ナイジェリアのアーキビストの、「オープンリールのテープをもっているが、再生機械が無いので聞けない、その旨ソニーに伝えて欲しい」などというメッセージ。そんな外国事例をひくまでもなく、私自身オープンリールテープを持ってはいるが、機械がなくて聞くことはかなわない。

電子記録を未来にきちんと引継ぐには、結局のところ手後れにならないうちに新しいシステムで再生できるように「変換」し、定期的に再現性を確認するモニター作業を行っていくことが唯一の方法である。今のところ、他に方法はない。日本だけではない。IT政府政策が導入され、記録がどんどん電子化されていく一方で、電子通信の長期保存方法についてのこれといった方策はまだ見つかっていないのが実状である。

読めなくなる電子記録

 古い話だけではない。90年代後半のことでさえも、コンピュータの記録をめぐる「読めなくなった」「壊れてしまった」という話題は、実は結構たくさんある。例えば、阪神淡路大震災では、コンピュータ記録ではなく、一時的なコンピュータ機械や通信手段の不具合又は途絶により、日常業務に影響が出た。銀行などでは、コンピュータ時代到来前の手作業による業務方法が復活した話をきいた。コンピュータしか知らない若い銀行員は、この時ばかりはコンピュータなしでも銀行業務をこなせる先輩のノウハウを見習う必要に迫られたのではないだろうか。

 こんな大規模災害ではないが、ある大手企業では、節電節約を言いつけられていたガードマンが「善意」で、夏の夜、コンピュータ室の冷房を切ったために、過熱でコンピュータがダウンし、そのコンピュータが保管していた図面などの記録=記憶が失われた、という「裏話」もある。これは、災害である。表の話になれば被害総額いくら、ときっと数値で表現されるだけのものであったろうが、なぜか「裏話」としてしか聞こえてこない。コンピュータの不具合や取扱の不注意や失敗により記録が失われることは、我々の身近なところでも事例はいくらでも探し出せるほどだ。

「電子記録はそのままでは長くもたない」

2000年9月スペイン・セビリアで開催されたICA大会(国際文書館評議会世界大会、4年に1度開催され、世界の文書館関係者が集まる。セビリア大会の参加者は3000人。)では「電子記録はそのままでは長くもたない」ことを前提とした決議が採択された。アーキビストの立場から言えばIT時代とはいえ、電子記録はアーカイブとしての永続性には問題があるという訳だ。技術的には媒体変換を繰り返していけば、電子記録を将来に継承することは可能だが、実務上この方法には法外な費用を要することは、まだ十分知られてはいない。

肉眼で直接読めない電子記録

紙の文書ならそのまま放置しても50年や100年の時間そのまま維持されるのは当然のことと考えられている。だが今日の電子記録は、そもそも肉眼で直接読むことは出来ない。常にコンピュータなどの読み出し装置と、読み出しのための仕組み=ソフトウェア,ハードウェアの組合せが確実に整備されていることが、記録を読み解くための条件となる。その上、昨今のIT技術環境の進歩が著しいことも念頭に置くなら、現代の電子記録を読み解くための方法論は、余りにも不安定であることが見えてくる。電子ネットワークを利用してよその記録に悪影響を及ぼすハッカーやウイルスの存在は、進歩する技術のウラの顔だ。紙をいためる虫の防御なら虫干しや燻蒸という方法があるが、紙を喰う虫と違って姿形が見えない上に、時も相手もかまわずに深刻な影響を与える。その防御も素人にはなかなか難しい。便利な電子記録だが、知らない間に外部からの侵入者にやられてしまうというコワイところもある。

記録の暗黒時代?

 不安要素を多く抱える今日の記録を長く将来に継承するには、これまで以上に記録を「意識的」に保存しなくてはならないだろう。すなわち、現代の電子記録は、そのまま放置した場合、10年としない間に事実上読めなくなることは想像に難くない。その電子記録の長期保存に思い切った手を打たずにこのまま放置したら、どうなるだろうか。将来、歴史を知ろうとする人々は、この20世紀後半から21世紀の時代は、なぜかそれ以前の時代にくらべひどく資料が少ない、という事実に突き当たってしまうだろう。そして、人々は私たちの現代をきっと「記録の暗黒時代」と呼ぶかもしれない。

写真:オーストリア国立図書館(ユネスコウェブサイトより引用)

http://www.unesco.org/webworld/virtual_exhibit/safeguarding/expo01.html (2006-04-24参照)